「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」ラストに感じた空しさと寂しさ

吃音(劇中ではあえて言及されない)で人とのコミュニケーションに苦悩する志乃、バンドに憧れてるけど音痴な加代、お調子者を演じるも空回りで居場所のない菊池。

出会いと青春、断絶、自己承認。それぞれコンプレックスを抱えた三人が志乃自身の心の叫びによって少しだけ救われる。

三人の生活に特に変化はない。ただ、志乃には新たな理解者の出現を予感させて幕が閉じる。最初はあっけに取られたけど時間差で浸透していく良い終わり方だった。

 

それとは別に、自分が勝手に寂しさを感じるのは、志乃と加代の二人がよりを戻さず絶好したままで終わったことにある。「百合(女の子同士の感情、関係性)に男を挟むな」という単純な話に帰結しなかったのは、文化祭での志乃の叫びを経ても二人が友達に戻らなかったことからわかる。

 

志乃にとっての加代は楽しい高校生活を送るためだけの存在で、加代にとって志乃は自分の音痴をカバーするためだけの存在。志乃の歌と加代の演奏、音楽だけが二人をつないでいる。ちょうど再放送中の「響け!ユーフォニアム」の、みぞれと希美の関係が最後まで修復できなかったパターン。

友情というものに対してのドライさというか突き放したような描き方、あるいは二人にはもともと友情なんてものはないということなのか。空しい。

 

でも確かに、加代の夢は「バンドを組むこと」で菊池の加入にも意欲的。対して志乃は「加代との楽しい高校生活」を壊す(顔を見た瞬間逃げ出すぐらい嫌いな)菊池の出現と、それに肯定的な加代自体に苦しみ始めていた。

こう見ると「苦しみながら続ける友人関係なんて必要ない」「コンプレックスは治しようがないしそのまま生きていくしかない」「本当に自分を理解してくれる人と付き合えばいい」と、むしろポジティブな捉え方に変わってくる。

 

ここまで全部ひっくるめて自分がナイーブというか、友情への信仰みたいなものがあるからじゃないか。